サイト案内(目次)

 オウム真理教事件で死刑判決を受けていた13人について、7月6日に7人、同月26日に残りの6人と、全員について1か月の間に死刑が執行されました。そのことが、国際的にも非難を浴び、論議を呼んでいます。

 私も、多くの日本人と同様、死刑制度存続はやむを得ないと考えていたのですが、最近、その考えが揺らいでいます。

 

今回の死刑の是非と死刑制度そのものの是非は別

 今回の死刑について、麻原教祖への執行について反対する人は少ないでしょう。私も当然だと思います。しかし、他の信者は、麻原に騙された犠牲者です。世間知らずの純粋な若者が騙されて凶悪犯罪に走ってしまい、洗脳が解けて、真摯に後悔している人たちも多くいました。彼らに対しては、私は、同情を禁じえません。

 被害者の遺族等の感情に配慮すればやむを得なかったかもしれませんが、彼らに対する死刑が妥当だったか、私には疑問です。

 

死刑制度容認論

 私が死刑制度の存続を支持していた理由は、主に次の二つです。

 第一に、犯罪抑止効果です。死刑が恐ろしいから殺人を思いとどまるケースがありうることは否定できないでしょう。善良な人が殺されることを一人でも防げるなら、殺人者など何人でも死刑にすべきだと考えていました。

 もう一つは、被害者遺族の感情です。犯人が死刑になることで多少とも慰めになるなら、死刑もやむを得ないかもしれません。

 

死刑制度容認論への疑問

 私が、死刑制度存続を支持していた理由の中には、現行の刑罰制度を無意識のうちに前提にしてしまっていた部分もありました。死刑にならなければ無期懲役で、真面目に服していれば20年くらいで仮出所の可能性もある現行制度です。これは、甘すぎると思います。凶悪犯罪には、無期ではなく、仮出所などのない終身刑として、一生刑務所の中で反省、後悔、贖罪のための労働の日々を送ってもらうべきだと思います。

 もし、死刑の代わりが、無期懲役ではなく、終身懲役だったらどうでしょう?

 犯罪抑止効果も、死刑と比較して、どちらが高いか微妙です。大量無差別殺人などの犯人の中には、死刑になることを望んでいたり、死刑を何とも思わなかったりという連中もいるようです。彼らには、むしろ、一生刑務所で不自由な暮らしを続けることを想像するほうが、抑止効果があるかもしれません。

 

 被害者の処罰感情への配慮という点では、死刑制度の方に分があると思いますが、それでも終身刑となると、無期懲役と比べると、かなり差は縮減すると思います。

 

 一方、死刑制度を存続させた場合の問題点として、えん罪の可能性死刑執行に関与させられることになる裁判員、裁判官、刑務官、法務大臣等の心の傷などがあります。何も心に傷を負わない人もいるかもしれませんが、一般的には一生残る傷になるでしょう。えん罪だった場合は、死刑を執行してしまえば取り返しがつきません。過去の死刑囚の中にも、そんな可能性のある人はいるでしょう。

 

 私などが迷っても仕方がないことであることは承知していますが、考えてしまいます。
 また、死刑制度の存否とは切り離しても、終身刑の導入は早急に検討すべきだと思います。


スポンサードリンク