20207月、コロナパンデミックに関連した京都大学オンライン公開講義「立ち止まって、考える」をネットで視聴しました。その中の「パンデミックの倫理学」は、人工呼吸器を誰に使うかなど、非常に興味深い内容でした。その講義の中で、講師の児玉聡先生が本書を紹介されており、読んでみました。本書は、児玉先生が監訳されたようです。副題は、「医療資源の倫理学」です。

 「京都大学オンライン公開講義がすばらしい!」

 「人工呼吸器を誰に配分するか 京都大学オンライン公開講義」 参照

 

 医師、看護師、医療器具、医薬品費などの医療資源は限られています。

この医療資源を誰のために使うかについて、災害時のトリアージなどでは判断が行われますが、日ごろはあまり議論されません。しかし、新型コロナウイルスのパンデミックに際し、ヨーロッパでは、高齢者には人工呼吸器は使わないなどの選別が行われました。

日本でも新薬を保険適用するかどうかなど、費用対効果が検討されているはずですが、どのような基準で判断しているのか、ブラックボックスです。

 

限られた医療資源をどの医療に振り向けるか、倫理的に正しいと考えられる一つの判断基準として、健康効果を最大にすることがあります。ある医療をした場合、それをしなかった場合と比較して、患者の生活の質(QOL)をどの程度引き上げ、生存期間を何年伸ばせるか測定し、それを最大化するよう医療資源を配分するよう資源を配分するという考え方です。

また、効用を最大化する考え方に加えて、「公平性」を重視することも重要でしょう。運悪く健康に恵まれなかった人の状態を引き上げることを優先するのが公平だというような考え方です。

具体的な基準としては、自立した状態で1年間生存を伸ばすために〇〇万円以上かかるような新薬は保険の適用とせず、他の医療に予算を回す形などが考えられます。また、ここで救命しても余命が数年しかない高齢者より若年者の医療を優先するという基準もあり得ます。(そのことに異を唱える身勝手な高齢者は少ないでしょう。)

人の命に値段をつけるのかなどという反発もあるかもしれませんが、資源、予算に限りがある以上、そのような選択は行わざるを得ません。行わなければならない以上、どのような基準で判断するのが倫理的に正しく、公平か、議論しておくべきでしょう。

そのような議論を政府などが行って判断基準を示さなかった場合、すべて医療現場の裁量に委ねられてしまいます。現場の心労は大変なものになり、また、新型コロナの重症患者を入院させずに無症状の与党有力国会議員を入院させるなどの正義に反する運用も生じかねません。

 

 新型コロナパンデミックを教訓に、日本でも医療資源の公正な配分について、開かれた議論が必要です。

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