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本書は、賛否が激しく対立する本です。特に、薩長土肥と水戸の出身者には、受け入れがたく感じる人が多いだろうと思います。私は、大河ドラマの幕末、維新ものを見たり、その時代をテーマにした小説などを読んだりした際に漠然と疑問に感じていたことが、やはりそうだったのかと、かなり納得する部分がありました。
日本の近代化に明治維新は必須だったか?
私たちが受けた歴史教育は勝利者側が作り上げた「官軍教育」ですが、それによると、日本の近代化は明治維新のおかげということになっています。しかし、少し考えれば分かるとおり、既に幕府が開国していたのです。各国と和親条約を結ぶ以前にも、1842年には薪水給与令を発して異国船に対する飲料水の補給を認め、交易船の来航も複数回ありました。
開国していた以上、戊辰戦争などしなくても、近代化は進んでいたはずです。現に、幕府は、天文方、蕃書調所、講武所、種痘館、海軍伝習所などで西洋技術の研究や習得に努め、ここで育成された元幕僚が、無能な藩閥官僚を陰で支えて明治政府でも大きな役割を果たします。
尊王攘夷とは何だったのか?
攘夷などできるはずがないことは、状況を理解している人には分かっていたはずです。したがって、尊王攘夷を叫んだ志士のほとんどは、状況を理解していないか、ナショナリズムに浮かされた考えの浅い人たちです。一部、承知のうえで、倒幕のためにそのスローガンを利用した勢力がいたのでしょう。政権を奪ったとたんに、卑屈なほど西洋化に走っています。
尊王という点で見ても、例えば、会津藩には天皇に背いたりした事実はありません。孝明天皇が最も信頼していたのが会津藩であったことは、よく知られています。むしろ、長州藩は、蛤御門の変で御所に向かって発砲するなど、天皇を軽視していました。
その後も、薩長側が、偽勅を出したり錦旗を偽造したり、不敬な行動が目立ちます。
やはり、天皇の権威や人々のナショナリズムを利用するための単なるスローガンだったのでしょう。
明治維新150年として全国各地で様々な催しが行われていますが、これを機に、本当にあれが偉業だったのか、検証すべきだと思います。会津、二本松、庄内、長岡藩などには、朝敵、賊軍の汚名を着せられるいわれはないようで、義憤を感じます。
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