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以前から違和感を持っていたのですが、先日のテレビで、ある自治体の幹部が、ある事業が遂行できなくなったことについて、事情説明の後、「結果して事業の実施を断念せざるを得ないことになりました。」と謝罪していました。
「結果として」なら違和感はありませんが、「結果して」と言われると、違和感を覚えます。なぜ「と」を省くのでしょうか?
この言い回しは、全国的なものかどうかは分かりませんが、私の住んでいる県の特に行政関係者の間では、しばしば聞かれます。私の記憶をたどると、職員団体(労働組合)の幹部や、その人たちとやり取りする立場の当局側幹部で、この言い回しをする人が多いように感じています。職員団体のオルグなどで、時々聞く言い回しです。努力したけれども様々な事情によりあまりいい結果にならなかった場合、自分たちの責任ではないことを表現するため、「結果して○○になりました。」というような用法です。
民間の友人や知人などからは、聞いた覚えがありません。
「結果する」と言えば、植物、特に果物の実が実る場合だけ使うにのが、普通の用法ではないでしょうか?
「我が家のサクランボは、去年は全く実を付けなかったが、今年はちゃんと『結果して』喜んでいる。」という用法は、ありそうです。普通の人は、「実がなって」とか言うことが多いでしょうが、この言い方も、特にプロの農家は使いそうな気がします。
果物の実がなるのではなく、「成果が現れる」という意味なら、「結実する」の方が一般的でしょう。まして、成果を得られずに終わった場合などに、「結果して○○になった。」というのは、おかしいと思います。