地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしています。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

2018年03月

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 予想通り、結局何も明らかにならない証人喚問でした。

 佐川氏が、刑事訴追の可能性を盾に、公文書改ざん関係の質問には答弁を拒否するであろうことは、予想されていたとおりです。私としては、佐川氏が、国家公務員になろうとした初心を思い出して、事実を明らかにしてくれることに一縷の希望を持っていたのですが、残念です。

 

政治家の働きかけ

 政治家の働きかけがなかったと明確に証言していましたが、それならば自発的に公文書を改ざんしたことになります。

 働きかけに応じて悪事を働いた場合と、単なる忖度で悪事に手を染めた場合とで、懲戒処分の量定にはあまり影響はないかもしれません。それであれば、任命権者である政治家に恩を売っておいて、秘密を握っておいた方が、有利なのでしょう。

 

丸川氏の質問のひどさ

 自民党の丸川珠代議員のお粗末な質問には、あきれました。

 裁判所で、自らが申請した証人に対する主尋問のようでした。有利な証言を引き出すためだけに質問していることが見え見えで、さすがに炎上しているようです。裁判でも、あんな質問をすれば、相手方から「誘導尋問だ!」と抗議されて、裁判長に制止されるのではないかと思います。

 せっかくの晴れ舞台で、馬脚を現してしまいました。

 「総理からの指示はありませんでしたね」「念のために伺いますが、総理夫人からの指示はありませんでしたね」などは、典型的な誘導尋問です。そんなことも知らなかったのでしょうか?

 

国有地売却そのものに焦点を絞った方が・・・

 公文書の改ざんは、その公文書を作成する権限を持っている人たち自身が行った場合、罪に問うのは難しいのではないかと思います。事実に反する内容に作り変えればともかく、事実の一部を省略しただけの場合は、難しいと思います。

 「公文書の「改ざん」と「訂正」」参照

 

 それよりも、国有地を不当に安い価格で売却しようとしたことに絞った方がいいのではないかと思います。

 明らかな背任行為であり、なぜそのようなことをしたのか、理由が明らかにされなければなりません。首相夫人のお覚えが良くなっても、大したメリットはありません。そんなことのために、これほど危ない橋を渡ろうとする公務員は考えられません。

 総理夫人の証人喚問も必要かもしれませんが、売払処分当時の近畿財務局の幹部、財務省理財局の幹部の証人喚問をするのが本筋ではないでしょうか?

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変更調定の日を無理やり年度内の日に遡る

 調定の日で所属年度を判定する場合、出納整理期間中に誤りを発見して過誤納金として還付する場合などにも矛盾が生じます。

このような場合、変更(減額)調定の手続は当然ながら4月、5月に行われます。しかし、そもそもの収入が旧年度に所属するものですから、出納整理期間中に是正される場合は旧年度の扱いで処理されます。そのことは、会計年度独立の原則からも当然なのですが、その減額調定の日を旧年度内の日に遡らざるを得なくなるという矛盾が生じます。矛盾というより、処理日の虚偽記載です。私の在職していた県庁、現在在職している小規模自治体を含め、総務省の指導の下、このような虚偽日付の手続を行っている自治体が多いのが現状です。

 

出納整理期間中に調定漏れを発見した場合

 調定すべきものが調定されていなかったことに気づいた場合、調定の日を判定基準としていますから、出納整理期間中であっても新年度の歳入とすることになります。しかし、その収入は、本来は旧年度にすべき性質のものですから、会計年度独立の原則からは外れます。

 また、減額調定の場合は旧年度の処理とすることとの間に、齟齬が生じます。

 出納整理期間中に誤りを発見して減額する場合は、旧年度処理とすべきことは当然であり、異論はないでしょう。

 では、計算誤りがあって増額しなければならない場合は、どうでしょうか?減額の場合と区別する理由がないので、同じく旧年度処理でしょう。

 では、電力会社に対する電柱等に係る使用料で、電柱が1本漏れていたことに気づいた場合は、どうでしょうか?その1本分を新たに調定するか、前の調定を増額変更するかで新年度と旧年度を分けるのでしょうか?

さらに、1本だけの使用許可を受けている事業者の調定が漏れていた場合はどうでしょうか?

このように考えていくと、調定の日で所属年度を判別することは、不合理であることが分かります。もともと、自治法、自治令は、そんなことを求めておらず、後から「地方財務実務提要」などがそう解説しているだけなのです。

 

「自治令が発生主義に依拠している理由」

 「地方財務実務提要」(第1853頁)にこのような標題のQ&Aがあり、その回答として、次のように説明されています。

 「地方公共団体の歳入歳出に係る一連の事務処理行為のうち、その出発点に当たる調定及び支出負担行為については自治法上必須のものとして位置付けており、これが行われた時点を基準として判断すれば、当該行為がどの年度の予算の効力期間に行われたものであるかが法律上、また外形的にも明確であることから、自治法は発生主義を採っているものと思われます。

 なお、右のことの結果として、調定又は支出負担行為は必ず年度内にこれを行わなければならないものと解されています。」

 一読すると何となく分かったような気がする文書ですが、よく読むと、原因と結果がループしており、論理的に無茶苦茶です。

 「調定及び支出負担行為については自治法上必須のものとして位置付けており、」までは、そのとおりでしょう。

 しかし、「これが行われた時点を基準として判断すれば、当該行為がどの年度の予算の効力期間に行われたものであるかが法律上、また外形的にも明確であることから、自治法は発生主義を採っている」という部分は、論理が飛躍しています。調定という手続をした日を基準として区分することにすれば外形的に明確にはなるでしょう。しかし、何をもって「法律上明確」と言っているのか、また、外形的に明確であることがなぜ発生主義に結びつくのか、意味が不明です。

 極め付けが、最後の「なお書き」です。「調定の日で区分することにすれば分かりやすいからそうしよう」と言っておきながら、「だから、調定の日は年度内にしなければならない」とのこと。何が理由で、何がその結果であるか、逆転させてしまっています。

 笑ってしまうほど、非論理的な文章です。

 

 こんな見解に従って、全国の自治体では、実際に調査、計算して内部的な意思決定をした日ではない日を「調定の日」として、虚偽の記載を続けているのです。

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 また41日が近づいてきました。今年(平成30年)の41日は日曜日で、普通の役所は閉庁で契約の締結などできないはずですが、全国の地方公共団体で大量の41日付けの契約書が作成されると思います。

 

 私の属する小規模自治体では、かねてから日付を偽った契約について問題意識を持ってきましたが、ようやく41日付け契約を一掃する準備を完了しました。厳密に言うと、契約書を作成しなければならないような契約については、41日には締結しないということです。今年は日曜日なので、ないと思いますが、平日の場合、少額の事務用品を発注することなど(契約書の作成を省略できる範囲の契約締結)はあり得ます。契約書を作成しなければならないような契約は、4月1日にはしないということです。

 41日の奇跡 虚偽公文書作成、大量発生の予感」参照

 

日付を偽った契約一掃の手法

 41日から役務の提供を受けることが必要な、庁舎管理、警備、機器やソフトの賃借、維持管理などの契約、NHKの受信契約は、すべて条例等で長期継続契約に指定し、前年度中に契約できるようにしました。これにより、新年度分は前年度の2月には入札手続を始めており、翌年度予算が議決される日以後、前年度中に契約締結をすることとしています。

 また、職員研修などは、その年度に入ってから委託したのでは、講師の確保ができません。これまでは、ヤミ、口頭で発注しておいて4月の初旬に正式に契約していたのですが、債務負担行為を設定し、前年度のうちに正式に発注、契約するようにしました。

 

このようにした理由

 過去の記事でも、再三問題にしていたように、民間では問題にならない契約書の日付遡りは、公務員にとっては犯罪行為です。業者との癒着の元にもなり、4月初めに業務が集中する元凶にもなります。

 せっかく長期継続契約、債務負担行為という、簡単に前年度中に契約締結ができる手段があるのですから、使わない手はありません。

 私の古巣の県庁では、いまだに犯罪行為(契約日付の遡り、長期継続契約等の手続によらずに入札等を前年度中に実施など)を続けています。県庁でも正そうと思ったのですが間に合わず、改善できませんでしたが、再就職した現在の小規模自治体で、適切な会計制度を構築できました。そのことを喜び、かつ、誇りに感じています。

 

 「長期継続契約をもっと有効に活用せよ!」ほか、「長期継続契約」カテゴリの各記事を参照願います。


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現在の公文書作成(起案文書)のスタイル

 起案のやり方は、技術の進歩に伴って変化してきました。特に影響が大きかったのは、昭和50年ころから進んだ複写機の導入と、昭和60年代から進んだワープロ、パソコンの導入です。

 昭和40年代までは、万年筆を使って全て起案用紙に手書きで書かれることが普通でした。私は、この時代の実体験はありませんが、以前の起案を見る機会も多かったので、知っています。また、私の在職していた県庁では、起案用紙には、決裁欄や担当者の所属、姓、職名、標題、本文等を書く欄がある1号様式と、本文が1枚(裏表)で収まらなかった場合に続きを記載するための2号様式がありました。決裁が終わると、市町村へ通知する文書等は、浄書係が決裁済みであることを確認し、タイプライター等で浄書してくれました。

 複写機が入ると、1号様式に伺い文と概要だけ書き、詳細は別紙に記載するやり方が主流になりました。私も、経緯や理由などは、白い原紙に鉛筆で書き、それを複写して添付していました。だから、2号様式などはほとんど使用されなくなり、30年ほど前から見かけなくなりました。

 ワープロ等が普及すると、相手方へ発出する文案等も最初からワープロで打って添付するようになりました。もちろん、経緯や理由の部分は、ワープロ等で作成した別紙を添付します。

 

 昔の起案は、修正をしようとすると大変でした。今は、決裁欄のある1枚目に記載されていること以外の修正は、簡単にできます。

 

「修正」「訂正」はしばしば行われている

 決裁中の起案が、最終決裁までに上司が手直しを加えることは、当然のことです。

 決裁後の起案文書でも、訂正、修正は、時々行われていると思います。

例えば、決裁後に、相手方に文書を出そうとしたときに誤字や脱字に気づいた時などです。こんな場合には、上司、決裁権者にも了解を求めずに担当者の一存で訂正しているのではないかと思います。

また、状況の変化により、内容を変更しなければならないこともあります。このような場合、決裁権者の了解を得て決裁文書を差し替えたり、以前の決裁を廃棄して新たに決裁を回したりすることも、時々行われています。

 

このような行為を「改ざん」「書き換え」等として非難することはできないと思います。

 

「改ざん」と「訂正」「修正」の違い

「改ざん」として非難すべきものとそうでないものの区別は、なかなか難しいと思います。感覚的には分かっても、区別する判断基準の明示は、厄介です。

多くの場合、決裁権者が了解して修正するなら、問題はないはずです。決裁権者は、もともとその事柄を決定する権限を持っており、その権限の下に、前の決裁を取消し、新たな決裁をすることに問題はありません。しかし、今回の近畿財務局の決裁文書の場合、仮に決裁権者(異動があれば、新旧両方の局長)が了解したうえで書き換えたとしても、問題がありそうです。

 

施行前か施行後かで区別するのが適当ではないかと思います。その起案文書による事務などが実施されてしまった後には、絶対に書き換えてはいけないということなのだろうと思います。

施行後、何か前提条件に誤りが見つかったとしても、その誤りに基づいて意思決定された事実を残さなければなりません。単なる誤字、脱字などであれば、施行後に訂正することに何の意味もないので、それを禁じても問題は生じません。

既に施行、実施された公文書をその後に修正しようとするのは、何か意思決定の理由をごまかすとか、ミスを隠そうとする意図としか考えられないのではないかと思います。

 

今、特に定義もされずに文書の「改ざん」「書き換え」が非難されていますが、どういう行為が非難される行為なのか、違法になるのかをきちんと整理すべきだと思います。それを明確にしなければ、ルール化もできず、公務員としても対応に困ります。


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 報道によると、36日、
政府は国連人権理事会韓国が求めていた「将来世代が慰安婦問題を含め、歴史の真実を学べるように努力すべきだ。」という主張に対し、「慰安婦問題を学習指導要領の中で取り扱うことはない。」との見解を公表したとのことです。

この問題を含め、日本政府は、人権理事会から計217項目の勧告を受け、それに対する見解を2月末に提出したそうです。

 

人権理事会の実態は?

 「国連人権理事会」などと聞くと、我々は、立派なことを議論している権威ある機関であるようなイメージを抱きますが、実態は、言った者勝ち雰囲気に流されるようなもののようです。

 日本についての審査の中で、ロシアが日本の報道の自由への懸念を述べたり、韓国についての審査の中で、北朝鮮が韓国による拉致(外貨稼ぎのために派遣していたレストラン女性従業員の集団亡命のこと)を非難したりするなど、笑い話のような実態もあるようです。日本における報道の自由への懸念は私も感じていますが、ロシアから言われると唖然とします。

 日本政府代表が、「強制連行とはどんな公文書でも書かれていない。性奴隷ではない。」とまさに正論を述べたにもかかわらず、勧告に至ったのは、正論が通るまともな議論の場ではないようです。

 米国などは、人権理事会の改革を主張し、脱退も検討しているようですが、確かに改革しなければ、権威など備わるはずがありません。

 

勧告拒否は当然だがそれだけでは不十分

 日本政府が、勧告を拒否したことは当然です。ただ、報道では、提出した文書の中で、拒否の理由として、強制連行などでっち上げであることを論証した上で拒否しているのか、明らかでありません。単に、拒否したことを切り取って報道されると、日本が真実に向き合おうとしない不誠実な国だという印象を与えてしまいます。

 報道機関への情報提供のやり方に工夫が必要だと思います。

 

 また、逆に、韓国の教科書が、日本が韓国内で女性を強制連行して慰安婦にしたなどと記載していることについて、人権理事会の場で是正を要求すべきです。そして、その審議の中で、事実を世界に広げていくべきです。

 我々は、あのような場で告発をすることについて、告げ口のようで、躊躇してしまう美意識があります。しかし、国際政治の場では、そのような日本人の美意識は、抑えた方がいいような気がします。証拠もなく、事実でもない汚名を着せられ続けるのは、やめにしたいものです。


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