地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしていました。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

2018年03月

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 3月9日、国税庁長官の辞任に関する財務大臣の会見をニュースで見て、うんざりしたのは、私だけではないと思います。

 言われていることが矛盾だらけで、本人は、その矛盾に気づいていながらとぼけておられるのか、気づいておられないのかは、判断しかねますが・・・。

 また、マスコミの追及も、少し物足りなさを感じました。

 

任命責任

 任命責任を問われることを警戒して、「適材適所」を崩そうとしません。記者が、辞任と「適材適所」との矛盾を追及しても、辞任は本人の意思で適材適所だったと強弁を続けます。

 記者は、減給の懲戒処分と「適材適所」との矛盾を追及すべきであると思いながら、やきもきしながら見ていました。懲戒処分は、本人の意思ではできません。任命権者が、その職の公務員として非違があったと認めなければ、減給処分などできません。

 しかも、懲戒処分の理由になったことが、前職、理財局長時代の行為にあったのであれば、適材適所でなかったことは明らかであり、任命者の失敗であることは明らかです。多くの国民が、その任命に異議を唱えていたにもかかわらず、任命を強行したのですから、遠くから見ている一般の国民よりも、見る目がなかったことになります。

 

さらに重い懲戒処分の可能性

 佐川氏に対し、さらに重い懲戒処分の可能性を伝えたとのこと。これも、任命責任を否定することと矛盾しています。

 また、一般論としては、辞職してもその後悪事が明らかになれば、追加の処分がありうることは事実でしょうが、辞めていく人にわざわざそんなことを伝えるのは、異例です。

 私には、今後も余計なことを言うと痛い目にあうぞと脅しているように聞こえました。

 

 彼も、トカゲのしっぽ切りをされたのでしょう。財務省の官僚の皆様は、これ以上酷いことにならないよう、一刻も早くすべてを明らかにすべきだと思います。

国語能力のレベルが分かるな!

 麻生氏にブーメランです。

 彼は、この会見の冒頭で、「有無」を「ゆうむ」と読んでしまいました。

 彼は、この日の前の会見で、朝日新聞の記者がしつこく質問したのに対し、「朝日新聞の取材能力のレベルが分かるな!」と侮辱的な捨て台詞を吐いていました。直後に、自ら、国語能力のレベルをさらす自爆行為をしてしまいました。彼は、「未曾有」を「みぞゆう」と読んだ前科もありますが、「みぞゆう」のことです。

 

財務省の方針転換

 この記事は、10日の夕方に書いて、11日の朝に投稿しようと思っていたのですが、10日の夜、財務省が、書き換えを認める方針というニュースが入ってきました。法務省、検察の幹部が、要請があれば押収している原本の写しを提供する意向を示しているので、観念したのでしょうか?

 自殺者にすべての責任を押し付けるような説明ならば、国民は許さないと思います。

 自殺者を出し、財務省の政権に対する忠誠心が崩れてきているのかもしれません。

 

財務省、安倍政権の解体か?

 朝日新聞の報道があり、野党が取り上げたころから、政権よりの論者等から、事実だったら財務省の解体、虚偽だったら朝日新聞の解体とか、事実だったら安倍政権の解体とかの声も聞かれました。

しばらく、目が離せません。


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 また、こんな痛ましい事件が起こってしまいました。いつも、原因を作った人たちがのうのうとしていて、末端の職員が犠牲になります。これ以上、連鎖が広がらないことを願うとともに、御冥福をお祈りいたします。

 

なぜ自殺しなければならなかったのか?

 ネット上では、死亡された職員の職名や実名が明らかにされています。

 さらに、この職員が文書の書き換え役だったとか、遺体の脇に遺書と書き換え前の文書の原本があったとか、真偽不明の情報も飛び交っています。明日(310日)か明後日には、詳しい状況が明らかになるかもしれません。

 

 なぜ、この職員が自殺しなければならなかったのか、解明されなければなりません。

 この職員が、決裁文書の書き換えに関与していたとしたら、この職員には動機がありません。上役の指示がなければ、そんなことをするはずがありません。

 国有地を不当に安く売却しようとした件にしても、同様です。この職員が関与したり、あるいは直接の担当者、起案者だったとしても、この職員には直接の動機はありません。このくらいの職員の人事に官邸が関わることはないので、上層部の指示がなければ、そんなヤバいことをするはずがありません。

 

 結局、検察に責められ、かといって上司の指示を明かしてしまえば、組織から責められることになり、結局、自殺を選んだのでしょう。自殺を選んだということは、そうせざるを得ないような秘密があったと推測せざるを得ません。

 

国税庁長官の辞任

 職員の方の自殺のニュースを追いかけるように、国税庁の佐川長官の辞任のニュースが報じられました。

 普通に考えれば、組織内に自殺者まで出してしまえば、彼は針のむしろで、身の置き所がないでしょう。元々、佐川長官とか、その他の上級幹部が、全て説明していれば、この職員が自殺する必要などなかったかもしれません。

 佐川長官の今後の生活を考えても、何も説明せずに辞任だけして逃げたり、早まったことを考えたりせずに、一切を明らかにしていただきたいと思います。

 

 佐川長官に限らず、この職員の死に責任を感じるべき上司の方々は、ぜひ、一刻も早く真相を明らかにしていただきたいと思います。


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 森友学園の国有地違法値引き事件について、新たな疑惑が生じています。国税庁の佐川長官の虚偽答弁の問題が片付かない中で、国民の目が新たな問題に移っています。佐川長官はホッとしているか、それとも新たな問題にも彼が絡んでいるとすれば、ますます追い詰められた気持ちになっているか、どちらでしょうか?

 この新たな問題も、解せないことがいろいろあります。

 

原本の存在をなぜ明確に否定しないのか?

 財務大臣も財務省も、開示した「決裁文書」は原本ではなく、原本は別に存在することを、なぜ明確に否定しないのでしょうか?無いものであれば「無い」と言えばいいのに、それが言えないのは、実際は存在するのだろうと思われても仕方がありません。

 または、大臣や理財局長の立場なら、「ないと報告を受けている。」と言ってもよさそうですが、それすらも言えないのは、現場のせいにできないからでしょうか。上の方からの指示で書き換えたのだとしたら、そのように答えていた場合、実際に存在することがばれたときには、政治生命、役人生命が危険になるでしょう。

 

朝日新聞は何をもとに原本の存在を確認したか?

 この疑惑を報じた朝日新聞が、原本(の写し)を公表せず、また、それを「入手した」とも言わず、「確認した」としていることから、いろいろ憶測を呼んでいます。

 私には、決裁文書が丸ごと作り直されたとすれば、原本そのものが存在している可能性は、極めて低いと思われます。公文書の書き換えなどという極めてヤバいことを行った、あるいは、指示したとすれば、原本を燃やすかシュレッダーにかけたことを確認しなければ、不安でしょうがないと思うからです。

 原本が存在するとすれば、開示用に書き換えられる以前に、何者かが持ち出して紛失していた場合くらいしか考えられないのではないかと思います。しかし、そんなことがあれば、原本を作り直すことのリスクは非常に大きく、普通ならそんなことはしないでしょう。

 したがって、朝日新聞が「確認した」とすれば、原本が存在した時に誰かが取ったコピーを確認したか、原本を知り得る人から確実な証言を得たのではないかと思います。

 

書き換えは、どんな形で行われたか?

 決裁の済んだ決裁文書を丸ごと作り直すことは、最終決裁者までの何人もの印鑑を全部押し直さなければならなくなるので、考えにくいと思います。作り直されたのは、決裁の伺い文が書かれていて、関係者の印鑑が押される表紙の部分ではなく、2枚目以降に添付されている「交渉経過」などの部分だけではないかと思います。

それも、最終決裁になってから書き換えられたのではなく、決裁の途中で、誰かが、「この表現はヤバいから直せ。」などと指示して、起案者が直したのではないかと想像します。

それならば、最終的に決裁になったのは、開示された内容であり、「決裁文書が書き換えられた」「原本が舌に存在する」ということとは少し違うと思います。

しかし、事実と少し異なる内容が決裁文書に残される結果になったことについては、同じことで、事実を解明し、その理由を明らかにすべきでしょう。

 

しかし、公務員にこんなリスクのあることをあえて行わせる動機は、国家公務員の上層部の闇につながっているのでしょう。

追記 3月13日
 この記事の本文は、3月7日に書きました。その時点では、決裁の終わった公文書を書き直すようなことを財務省職員が行ったとは思えなかったため、決裁途中の直しがあったのではないかと考えていました。しかし、その後、決裁の終わった公文書を、国会議員に開示するために改ざんしていたことが判明しました。
 私の推測が誤っていたということで、本文を修正しようかとも思いましたが、公務員の常識を超えた対応であったことを示すため、本文は修正せず、ここに追記します。
 慎重なはずの公務員に、こんな危ないことをさせた闇の力に暗然としています。






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 最近のニュースを見ていると、日本人が劣化してきているのではないかと思わせるような出来事がたくさん見受けられます。例えば、アルマーニの標準服問題での小学生に対する嫌がらせ、朝鮮総連への発砲事件、国税庁長官の居座り、埼玉県議会の原発再稼働推進議決など、数え上げればきりがありません。

 アルマーニ事件で校長などに腹を立てるのは分かります。しかし、子供に嫌がらせするのは、愚劣の極みです。

 また、テレビ番組やネットの記事に、「日本スゴイ!」的な内容が溢れています。視聴者に、「日本人はやはり他の国の人より優れている!」と、悦に入らせるような内容のものです。これは、少し昔の自虐史観など、必要以上に卑下していたことの反動かとも思いますが、少々片腹いたく、こういう風潮が心配になります。

 

昔の日本人は?

 昔の日本人は、もっと道義的であったと言いたいのですが、必ずしもそうではないと思います。

 戦後の混乱期は、今以上に詐欺が横行していたようです。私が祖父母や親から聞いた話では、銭湯へ行くときは、いい下駄を履いていくと盗られるので、なるべく悪い下駄や草履を履いていったそうです。今、他国のことを笑っていますが、60年ほど前までは日本自身がそんな「民度」だったのです。

 

 結局、今も昔も、道義心の強い人は強く、弱い人は弱いことはやむを得ないことなのでしょう。どういう人が多いかで、社会全体の「民度」が決まります。

 

社会に余裕がなくなっている

 昭和30年代から平成に入るころまでは、地道に働いていれば、誰もが家庭をもって幸せな生活を築くことができる、豊かになることができるという希望がありました。今は、それがなくなってしまいました。

 一億総中流が崩れ、富裕層と貧困層への分化が進行しています。そんな中で、他者への思いやりとかが薄れてきているような気がしています。

 ネットの炎上などに参加しているのは、貧困に苦しんでいる層よりも、中流層が多いというデータを見たことがあります。まだ中流階級にとどまっている公務員や民間の正社員も、成果主義などの競争で、心のゆとりを失い他者に攻撃的になっているような気がします。

 このような傾向が今より強まらないよう願っています。

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 時事通信によると、平成30年2月16日の午前、政府は、国家公務員の定年を現在の60歳から65歳に引き上げる方針を決め、準備に入るそうです。

 以前にも書きましたが、よほど昇給ベースを切り下げるなどしなければ人件費の増加を招くこと、高齢者の元気度には個人差があり、65歳まで一律に継続させるのは酷であること、若手のモチベーションに悪影響が想定されることなどから、私は、あまり賛成ではありません。現在の再任用制度の運用でいいのではないかと思っています。

  「公務員の定年延長」参照

 

 報道では、あまり詳しく報じられていませんが、国のホームページに「公務員の定年の引上げに関する検討会」の論点整理がアップされています。それによりますと、60歳以降定年年齢前までの職員を短時間勤務で再任用する仕組の導入なども検討されているようです。今後の検討に注目しています。

 ただ、現場の問題は、一部の市町村などが、首長の考えから再任用制度を事実上運用していないことです。そういう市町村の定年退職者は、年金支給開始までの間、御苦労されるようです。そういう問題を解決する方を取りあえず急ぐべきだと思います。

 

制度改正の方向

 今回、政府は、60歳以上の給与水準を一定程度引き下げる ②原則60歳以降は管理職から外す「役職定年制」を導入する という方向性を決めたとのこと。

 これだけでは、かなり人件費が上がりそうですが、「総人件費管理と人件費の価値の向上」も論点に上がっています。文章から、ある程度の人件費上昇は避けられないができる限り抑制したいという気持ちが読み取れます。

ただ、この方向は、現在の制度の基本を今後も維持することを前提とした小手先の改正です。世界の潮流からますますかけ離れていくようです。

 

世界標準は「年齢差別禁止」

 日本では、採用にあたって年齢で差別することは原則として禁止されていますが、現実には、地方公務員(正規職員)も含め、容認されています。

 給料や昇進などについて、性別や人種、宗教などで差別することはもちろん違法で、仮にそんなことが明るみに出れば大問題です。しかし、給料について年齢で差別することは、普通に行われています。

 公務員の給料でも、55歳以上の職員は、昇給が原則として停止されます。

 欧米では、「年齢差別禁止法」等の法律があり、定年などがないことはもちろん、そのような年齢による給与上の差別は、違法とされているようです。

 

 日本におけるこの意識の遅れは、もしかしたら憲法に由来するのかもしれません。憲法第14条では、人種、性別などによって経済的な差別があってはならないことは明示されていますが、年齢のことは規定されていません。これは、誰もが若い時があり、いずれ老人になるからでしょう。

 

憲法第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

今回の定年延長の方向性

 今回、方向性として決定された先の2点は、世界の「年齢差別禁止」の動向からかけ離れたものです。逆方向と言ってもいいでしょう。

 ある年齢に達したら自動的に仕事の内容が変えられ、給料が大幅に下がるなど、とんでもない話で、それならいっそ再任用の方がすっきりします。

 

 どうせ制度改正するのであれば、このような小手先の改正ではなく、抜本的な改正にしてほしいものです。世界標準に合わせるには、次のようなことが必要だと思います。

 ① 定年になったらみんなが一律に辞めるのではなく、個々人の体力、気力に応じて辞める時期、役職を辞めて責任の軽い仕事に就くべき時期を決める。

② 年功序列、定期昇給などは廃止し、能力、職務内容に応じた給与とする。

③ 総人件費は、増やさない。

 

今のところ、現実的ではありませんが、いつまでも小手先の手直しで済ませることも良くありません。世界標準に近づけ、高齢者がそれぞれの能力に応じた仕事を与えられ、維持可能な年金制度を構築するビジョンが求められているのではないでしょうか。


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