著者は、30年以上も裁判官をされていた元裁判官で、最高裁の事務総局に在席されたこともある、いわばエリート裁判官でした。裁判官在職中から専門書、一般向けの書物の執筆活動もされていましたが、明治大学教授に転身されています。裁判官のムラ社会の軋轢を感じておられたようです。
私は、著者の別の著書を読んでいて、それぞれ感銘を受けています。
「黒い巨塔 最高裁判所」(瀬木比呂志)を読んで 参照願います。
本書の概要
日本の法は、歴史的に、大きな社会変革のつど外国から移入された法で、しかも基盤も思想も違う法が幾重にも折り重なって形成されています。明治の制定法は、不平等条約の撤廃を第一の目的としてそれまでの法を無理矢理押し込める形で西洋から導入したため、人々の法意識とはかけ離れたものになってしまいました。
その後、社会が戦争に向かう中で未だ萌芽の段階だった民主主義が封じ込められ、敗戦後は憲法を始め米国法が導入されるなど、制定法は基本的に統治と支配のためのものでした。導入が急すぎたこともあり、人々の意識とは大きなズレが続きました。
そのズレのために、法は「よそいきの言葉や衣服のようなもの」「建前」といった認識で、人々の意識はムラ社会のままです。それは、裁判官や政治家の世界でも同様で、法を無視して村社会の「掟」に従っていることも多いため、様々な弊害が生じています。
本書では、以上の主張を裏付けるものとして、離婚や同性婚などの家族制度の分野、冤罪を生み続ける人質司法などの司法制度の分野、憲法すら無視する近年の自民党政権のふるまいなど政治の分野ほかで、分析が行われています。
心から共感
本書について、私は全体的に待ったく共感しています。特に政治家の法意識、遵法意識のなさに関する指摘は、すばらしいと感じます。「第二期安倍政権は、確信犯的にそれ(法治主義の原則)を有名無実化しようとし、また「法」や「手続」そのものを軽視する傾向が格段に強かった。」という分析は、その通りです。私もこのブログで、安倍氏の在任中から、その無法ぶりを非難してきたので、この指摘は心から嬉しく感じています。不愉快に感じる人もおられるでしょうが、彼が法律違反を繰り返してきたことは事実で、論理的に反論できる人はいないでしょう。
本書を手に取る人がたくさん存在するという事実は、日本も捨てたものではないという気持ちを私に起こさせてくれます。まだ、読んでいない彼の著作がたくさんあるようなので、これから読むのが楽しみです。
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