平日は毎朝、NHKの朝ドラを楽しんでいます。現在放送中の「風薫る」で吾郎(ヒロインの一人直美の夫)が日清戦争に出征し、死亡の知らせが来ます。8月28日の放送で、たまたま吾郎を看護していた旧友の看護婦から、その最期の様子が伝えられます。
その死因は、主には脚気でした。清との戦いが終わった後、台湾に転戦して戦闘中に岩場から落ちて足を骨折しましたが、死に至ったのは脚気が原因でした。最期の様子を伝えてくれた旧友の看護婦は、「戦闘で亡くなるより伝染病や脚気で亡くなる人の方が多い」と言っていました。ドラマの中だけではなく、それが史実のようです。
以前、雑誌で日本の脚気の歴史と明治の脚気論争に関する興味深い記事を読んだことを思い出し、ネットであらためて調べてみました。この論争の一方は文豪森鴎外を中心としたグループです。
公的な記録でも、日清戦争での陸軍において、戦死者は1千人ほどに対して戦病死者は1万2千人近く、うち脚気による死者は4千人に上っていました。これは、日露戦争ではもっと酷い状況になります。
一方、海軍では、脚気患者、死者はほとんどいませんでした。その理由は、陸軍では白米を糧食とし、海軍では麦飯を供していたことにあります。当時、脚気の原因について、細菌とする説と食事の問題だとする説で、激しい論争になっていました。イギリスで公衆衛生を学んだ海軍の軍医高木兼寛は、現場の実態から食事の問題だと主張し、兵士に麦飯を供させました。
陸軍では「脚気は感染症である」という説が主流で、この立場を取ったのが、陸軍軍医総監だった森鴎外(森林太郎。ドイツ留学帰り)でした。東大では当時、ドイツの細菌学を信奉する風潮で、細菌学の教授もこの立場でした。食事の問題だとする高木兼寛らの説に理論的な根拠が乏しかったこともあり、陸軍では白米を供し続けました。
日露戦争では、203高地の戦い等あれほど戦死者が多かったにも関わらず、まだ脚気による死者の方が上回りました。
これを鴎外の責任だとする人たちもいます。たしかに彼にも一端の責任はあるでしょうが、主には組織の問題でしょう。