歎異抄は、日本の宗教書では最も有名な書でしょう。宗教家以外でも多くの作家、哲学者、文化人が愛読書として名前を挙げ、高校の日本史の教科書にも名前は紹介されています。
歎異抄は、浄土真宗の開祖である親鸞の没後、その弟子唯円が、親鸞の言葉等を書き残したものです。親鸞の没後、その弟子たちの間でも異端の説がはびこったのを嘆き、それを正すことを目的としたことが、書名の由来(異端を嘆く)です。
全18段からなり、第1段から第10段の前半までは親鸞の言葉を収め、それ以降は、それをもとに唯円が異端を正す議論を展開しています。
本書は、人を刺して刑務所に入り、出所後に世間から前科者として差別されながら暮らしている主人公が、刑務所時代に法話を聞いていた僧侶と再会し、阿弥陀如来への信仰について教わっていくストーリーです。
最も有名な、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。」という言葉も解説されています。「善人でさえ往生できるのだから、悪人はもちろん往生できる。」のは何故か?
ストーリーはわくわくするほど面白いわけではありませんが、苦労せずに歎異抄の概略を把握することができます。巻末には、おまけとして歎異抄の全文と現在語訳が載っています。30ページほどの短いもので、有名な歎異抄が、こんなに短いものだとは思いませんでした。
歎異抄、親鸞の教えについては、五木寛之さんの「親鸞」や梅原猛さんの著作を通じて、ある程度は知っていました。私は、神も仏も信じない無神論者ですが、親鸞の教え、思想が、深遠であることは理解できます。徹底して、我々普通の人間を擁護してくれているようです。
死後に極楽往生することばかりを願って、妻帯もせずに修行に明け暮れるなどという人間として不自然な暮らしをせず、人間らしく時に悪いことをしながら暮らしていても救われるという教えは、凡夫にとって救いです。
親鸞の教えは、死後の往生を願うというより、現世で人間らしい生を全うすることを応援してくれている気がします。
歎異抄も、「南無阿弥陀仏を唱えても心の底からの喜びなど湧いてこないのだが、こんな自分でも救われるか?」というような、普通の人が疑問に思い、不安になるようなことを、先回りして解決してくれているような内容です。
私は、死後の世界などないと信じていますが、万一あった場合に地獄に落ちたくないという気持ちもあります。そんな人間にとって、親鸞の教えは、万一の場合の保険というか、安心材料です。
『「DEATH 「死」とは何か」(シェリー・ケーガン)を読んで』 関連
歎異抄について、さらに詳しく解釈している本も読んでみたくなりました。
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