この作品は、全体としてはおもしろく読めました。第2次大戦末期の出来事が2005年ころに発生した殺人事件の遠因になっていたことも、違和感なく、興味深く楽しめました。
しかし、場面設定など、いくつかの残念な点、興ざめな部分もありました。
題名が苦しすぎるこじつけ?
最大の興ざめは、この題名です。作品の最後、JR東日本社長のあいさつの中で「ダブルの日」が出てくるのですが、「10年前に殺害された技術者を含む北陸新幹線の功労者が表彰され、新幹線開業と合わせて二重におめでたい日だから『北陸新幹線ダブルの日』と名付ける」との説明です。下らないダジャレを聞いた時のような居心地の悪さというか、思わず「寒っ!」と言いたくなるような感じです。
後述するように、設定自体が苦しいのに、その苦しい設定に無理やりこじつけて題名にする、あんまりだと思いました。
編集者は、何とも思わなかったのでしょうか?
他にも不自然すぎる設定
題名の不自然さほど致命的ではないのですが、他にも不自然な設定で、興をそがれる部分があります。
① なぜ警視庁の警部が、上越妙高駅で開催された開業セレモニーやパーティーに招待されているのか?
② JR東日本の社長が、東京駅での式典ならともかく、「かがやき」も停車しない上越妙高駅での式典に参加しているのは変ではないか?
③ 旧日本軍の技術者で国鉄に転じた人、特に開業10年前に死亡している人が、列車全体の基礎的な技術ならともかく、北陸新幹線の車両設計に功績があったというのは、あまりにも不自然ではないか?
④ 被害者の孫娘が、高校のときは自宅を離れて東京の高校に通い、大学に入学するときは新潟県柏崎市に戻って地元の大学に進学するなど、普通は考えられない。普通は、高校は地元にいて、大学進学時に東京へ行く。不自然な逆パターンである理由の説明が見当たらない。
⑤ 新潟県警の警部が、上越妙高駅付近で、イベント当日、亀井刑事と会って話をし、翌日十津川警部と昼食を共にしているが、県警本部のある新潟市と上越妙高駅は130キロも離れており、昼休みなどに気軽に行き来できる位置関係にない。新潟県警の警部がわざわざ上越妙高駅付近にいたとすれば、その理由の説明が必要。
このようなことは、話の本筋に関係のない些細なことですが、これらの設定があまりに不自然だと、読んでいて興ざめしてしまうのです。
出版社、編集者が、出版前に何とかしておく問題だと思います。
西村京太郎氏の近年の作品が変だ1 「札沼線の愛と死…」参照
西村京太郎氏の近年の作品が変だ3 「北軽井沢に消えた女」に続く
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