2014年5月に福井地方裁判所で、関西電力大飯原発運転差止めの判決が言い渡されました。著者は、その裁判長で、その後定年退官された元裁判官です。
本書の主張の概要
日本の原発の危険性に警鐘を鳴らし、運転中止を主張する内容です。
著者自身の要約によれば、
①原発は事故を起こすと日本の存続を危うくするほど甚大な被害を発生させる。
⓶それ故に原発には極めて高度の安全性が求められる。
⓷地震大国の日本では、原発には極めて高度の耐震性が求められる。
⓸日本の原発の耐震性は極めて低く、平凡な地震によっても危険が生ずる。
⑤よって、原発の運転は許されない。耐震性の低さを正当化する学問的根拠はなく、原発の運転を続ける社会的正当性もない。
ということです。特に、①⓸⑤について、根拠を示しつつ、詳細に説明されています。
私自身の立場は、「原発は万一の事故の場合に日本の存続を危うくするほどの被害を生じさせる可能性があるから、そんな危険なものは即時廃炉」です。著者は、そのような立場にも理解を示しつつ、それではそこで議論が終わってしまうので、高度な安全性が確保されることを条件に運転を認めるという立場にたって、議論を進めておられます。
その上で、日本の原発は運転を認められないという結論を導いておられます。
甘すぎる審査基準
原発には極めて高度の安全性が求められることは、原発に賛成の人でも認めることでしょう。理性的な人ほど、「だから大地震にも耐えられるように作られているはずだ。」と思い込んでしまうと著者は指摘します。私も、各原発は過去に起こった最大の地震よりもかなり強い地震が来ても大丈夫なように設計されているはずだと思っていました。しかし、それは誤りだったようです。
実際は、原発はかなり脆弱で、その証拠にはこれまでも設計上の耐震強度を超える地震が何度か発生しています。大きな事故がなかったのは、運が良かったのでしょう。地震が発生して、住宅などの建物は倒壊しなくても、原発の配管などが毀損することも大いにあり得ます。
福島の事故の際、東日本が壊滅せずに済んだのは、奇跡というべきいくつもの偶然が重なったおかげであることは聞き知っていましたが、その具体的な詳細も本書で初めて知り、あらためて背筋が寒くなりました。
著者は、3.11で原発はそれほど安全ではないこと、事故の際には回復不能な被害を生じさせることを知った我々の世代には大きな責任があると指摘しています。これほどの危険を知らないふりをして、将来世代を危険にさらすような無責任なことは許されません。
本書に対する反論は、まだ政府、推進派の専門家から聞こえてきません。反論があるのなら緻密に反論していただきたいと思います。
原発を容認する人にとっても、即時廃止を主張する人にとっても、本書は必読書だと思います。本書を読んでいない人は、原発容認の主張をする資格はないと思います。
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