本書は、洛南中学校(京都の東寺に隣接した真言宗系の学校)で2001年に行われた12時限にわたる授業(生徒同士のディベートを含む。)の記録です。著者が、中学生を相手に、道徳と宗教、特に仏教について解説しています。
同じ著者による似たような題名の仏教に関する講演録を読んで興味深かったので、本書も手に取りました。
「梅原猛の仏教の授業 法然 親鸞 一遍」(梅原猛)を読んで 参照
第1時限の「なぜ宗教が必要なのだろうか」では、「神がなければ文明も道徳も存在しない」と説明され、第2時限の表題は「すべての文明には宗教がある」です。たしかに歴史的にみれば宗教のない文明は思いつきませんが、すべての道徳が宗教、神に由来するものかどうか、私には疑問があります。最近読んだ「不道徳な経済学」(ウォルター・ブロック)によると、実験ではチンパンジーにも「平等」とか「他人の物は勝手に取ってはならない」といった道徳のようなものが認められるようです。
キリスト教で「汝殺すなかれ」といっても殺していけないのは人間だけを意味します。それに対して仏教の殺生の戒は生きとし生きるものすべてが対象です。キリスト教に基礎を置く西洋文明は自然を支配しようとする文明で、それに対して、仏教などを基礎とする東洋の文明は自然と共存しようとする文明だという解説は、説得力があります。
第3時限以降は、仏教、主に日本の仏教の歩み、特色などが解説されています。日本の仏教は、すべて龍樹(釈迦の500年ほど後のインドの仏教者)に端を発し、中国を経由した大乗仏教で、釈迦の原型に近いチベットなどの小乗仏教とはかなり性質が異なっているようです。
著者は、1万円札が福沢諭吉になった時、小松左京氏らとともに「聖徳太子を守る会」を作ろうとしたそうです。著者の考えでは、福沢諭吉が唱えて近隣諸国を侵略する元になった「脱亜入欧」より、仏教立国を目指した聖徳太子の方がこれからの日本にふさわしいということです。
表現の自由を巡って、フランスとイスラム諸国の対立が勃発しています。これなどはまさに、著者が心配していた文明の衝突でしょう。自分たちの文化、道徳だけを絶対視していれば、こういうことは起こります。やはり一神教の文化は始末が悪い・・・。
こんな時こそ、本来多神論的な文化を持つ日本が、東西の橋渡し役になるべきだというのが、著者のお考えです。
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