著者は、「ハーバード白熱教室」で日本でも有名なハーバード大学教授です。政治哲学が専門です。また、この著者の『これからの「正義」の話をしよう』は、世界各国でベストセラーになり、私も読んで感銘を受けました。

本書の副題は「能力主義は正義か?」です。また、英語の原書の題名は、「The Tyranny of Merit」(能力の専制、功績の専制)です。

私は、まず、この日本語の題名の巧みさに感心しました。日本でよく言われている「運も実力のうち」をひっくり返して、本書の内容を的確に表現しています。

 

 ハーバード大学をはじめ、難関大学の学生の大部分は裕福な家庭の出身ですが、ほとんどが自分の努力によって入学を勝ち得たと考えているとのことです。彼らが必死に努力したことは事実かもしれませんが、素質がありながら勉学の機会に恵まれなかった人、彼ら以上に努力したけれども入学できなかった人もいるであろうことを考えれば、入学を自分だけの手柄と考えるのは正義にかなったものとは言えないでしょう。

 これは、日本でも同じような状況ですが、能力主義、実力主義が日本以上に徹底している米国においてはより深刻です。

 生まれながらの才能は平等に与えられているわけではなくたまたま現在の社会が高く評価する才能を持って生まれた人が、それによって得られる多額の収入をすべて自分のものにするのが正義か、著者は問いかけます。

 さらに、社会が与える収入が、社会に対する貢献度に見合ったものかという点も問いかけます。例えば、多額の収入を得ている覚せい剤の売人と、高校教師とではどちらが社会に有益なものを提供しているか・・・。

 それほど極端な職業でなくても、ウォール街で社会の向上には何の役にも立っていない金融商品を開発して高収入を得ている人と、工場でマスクを製造している労働者と・・・。つまり、収入の多寡と社会への貢献度は連動しておらず、収入の多い人が道徳的に高い地位にあるわけではもちろんなく、尊敬される必要はないということです。

 

 しかし、能力主義とか自己責任とかが幅を利かせるようになり、たまたま裕福な人は貧しい人を見下すようになりました。また、貧しい人は、自分が貧しいのは自分の努力が足りなかったせいだとか、何かを怠ったせいだと思わされ、周囲から見下されていると感じるようになります。

 この問題は、「機会の平等」では解決できるはずがなく、「条件の平等」の社会の実現が必要だと著者は主張します。なかなか難しい考え方で、本書でも最後に少し言及されているだけで、具体的な説明はされていません。でも、誰もが、持って生まれた能力を精一杯使って働くことで、尊厳のある暮らしができる社会ということのようです。

 

 日本でも「自己責任」論が声高に叫ばれ、ネットの世界では学歴の低い人を蔑むような議論が臆面もなく展開されています。私もそんなことをしないよう自制しなければなりません。

 社会のあり方を考えるうえで、必読だと思います。

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