この著者の近著が新聞の書評に掲載され、その中で本書も紹介されていて、興味を持ったので読んでみました。私は、県職員時代に県が当事者(原告や被告)になる裁判を何度か担当者として経験している中では、裁判のあり方に疑問を持つことはありませんでした。しかし、定年後の職場の関係で、ある贈収賄事件を初回の公判から判決公判まで傍聴した際、「これはひどい!」と感じ、被告(町の保健行政職員を免職)に同情しました。
その事件は、地域の医師会が導入する地域医療関係のシステムに関連し、被告が旧知のソフト会社のシステムを推薦し、見返りに接待(10数回にわたり総額10数万円)を受けていたというものです。町は医師会に対して監督権限もなく、被告も何の職務権限もありません。町は、その医師会の中心自治体でもありません。
私は、職務権限もない中で医師会が被告を信用して助言に従っただけなのに、贈収賄罪が成立するのか、はなはだ疑問でした。しかし、裁判官、検察官ばかりでなく、弁護士までその点に全く立ち入らず、弁護士は執行猶予を得るための情状の主張に終始しました。被告には、収監や拘置を少しでも短くしたい家庭の事情がありました。被告が接待を受けた認識(おごったりおごられたりの仲だった)など、起訴事実に反することを言いかけると弁護士が遮ったりもしていました。
あの検察と弁護士までが、裁判を早く終わらせることだけに注力しているような裁判を見て、「これは何なのだ!」と義憤、疑問を感じていました。
本書は、私の疑問に答えを与えてくれました。司法は、収監を避けたい被告の弱みに付け込んで、裁判を早く片付けたかったのでしょう。
本書が紹介しているのは、自己の良心ではなく最高裁事務総局の意向(長官の意向)に従おうとする多数派の裁判官らの姿、非民主的で基本的人権も守られない裁判官のヒエラルキーの中でそれに順応して思考を停止し体制べったりになる裁判官らと、心を病んでしまう裁判官らの姿、判決書を書く手間を省いて処理件数を上げるために無理やり和解を勧める裁判官らの姿などです。題名のとおり、絶望的な気持ちになりました。これでは、国が当事者の裁判などで体制寄りの判決が多いのも当然です。
今の日本の裁判官制度は、司法修習を終えた若者がそのまま裁判官に採用される官僚裁判官システム(キャリアシステム)です。著者はこれを、経験を積んだ弁護士や学者を判事に任命する法曹一元制度に転換することを提言されています。たしかに、そうなればかなり是正されると思いますが、今の体制は当局にとって便利なので、難しいでしょう。
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