本書のタイトルは、まさに自分で感じていることでした。しかし、働いていれば時間がないから本を読めなくなるのは当然であり、それとは別の答えがあるのだろうと思って、内容を知りたくなりました。
本書が指摘しているのは、現代の人は本を買わなくなり、読まなくなっていますが、労働時間は昔よりは短くなっていることです。スマホをいじる時間はあっても、本を読む時間はないようです。
本書は、明治時代から現在まで、時代ごとに人が本を手に取る動機、目的等について分析し、今の我々が本を読まなくなった理由を考察して、現代社会の問題点を示し、新たな道を提示しています。
ここで説明されているそれぞれの時代の人が本を読んだ動機は、今の我々にも通じており、昔の人に共感しました。
明治期から戦前にかけて、立身出世のための「修養」としての読書がエリートではない人々の間で流行し、それを冷ややかな目で見ながら彼らと差異化を図って「教養」を身に付けるための読書をするエリート階層の姿が描かれています。
上の階級に登るために教養を身に付けるため、あるいは上の階級の人間であると見られることを目的とする読書も描かれています。
1990年代には「読書離れ」が言われるようになりましたが、いわゆる自己啓発書だけは売れ、読まれていたようです。それはこのころから次第に日本社会に入り込んできた新自由主義の影響とのことです。ゆとり教育、個性重視教育が叫ばれ、キャリア教育も自分がやりたいこと、好きなことを職業にする「夢」を追わせる方向になりました。そのような職業選択はリスクも大きいことは当然で、やりたいことを探し続けるニートと呼ばれる若者を作り出したのは、この風潮だったようです。
また、好きなことを職業にするということは、自己実現も仕事の中で目指すことになります。私は初めて聞きましたが、「自己実現系ワーカホリック」という言葉まであるようです。
読書は、インターネットと比べて、今知りたいこと、仕事に直接役に立つ知識以外の、教養的な情報を多く含みます。著者はこれをノイズと呼びます。仕事で自己実現を図ることを求められているような状況、仕事に全身全霊を注ぐことを求められているような状況では、ノイズの多い読書をする余裕はありません。
「全身全霊」で仕事をしたり子育てをしたりすることが称賛される社会は、追い詰められて精神を病む安いものです。著者は、「全身全霊」を信仰する社会をやめ、「半身社会」にすることを提言しています。
仕事にやりがいを感じることはもちろんすばらしいことですが、仕事だけを生きがいにし、仕事にだけ自己実現を求めることは病的です。私も、「半身社会」に賛同します。
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