ipt async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"> マイケル・サンデン : 地方自治日記

地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしていました。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

タグ:マイケル・サンデン

 著者は、「ハーバード白熱教室」で日本でも有名なハーバード大学教授です。政治哲学が専門です。また、この著者の『これからの「正義」の話をしよう』は、世界各国でベストセラーになり、私も読んで感銘を受けました。

本書の副題は「能力主義は正義か?」です。また、英語の原書の題名は、「The Tyranny of Merit」(能力の専制、功績の専制)です。

私は、まず、この日本語の題名の巧みさに感心しました。日本でよく言われている「運も実力のうち」をひっくり返して、本書の内容を的確に表現しています。

 

 ハーバード大学をはじめ、難関大学の学生の大部分は裕福な家庭の出身ですが、ほとんどが自分の努力によって入学を勝ち得たと考えているとのことです。彼らが必死に努力したことは事実かもしれませんが、素質がありながら勉学の機会に恵まれなかった人、彼ら以上に努力したけれども入学できなかった人もいるであろうことを考えれば、入学を自分だけの手柄と考えるのは正義にかなったものとは言えないでしょう。

 これは、日本でも同じような状況ですが、能力主義、実力主義が日本以上に徹底している米国においてはより深刻です。

 生まれながらの才能は平等に与えられているわけではなくたまたま現在の社会が高く評価する才能を持って生まれた人が、それによって得られる多額の収入をすべて自分のものにするのが正義か、著者は問いかけます。

 さらに、社会が与える収入が、社会に対する貢献度に見合ったものかという点も問いかけます。例えば、多額の収入を得ている覚せい剤の売人と、高校教師とではどちらが社会に有益なものを提供しているか・・・。

 それほど極端な職業でなくても、ウォール街で社会の向上には何の役にも立っていない金融商品を開発して高収入を得ている人と、工場でマスクを製造している労働者と・・・。つまり、収入の多寡と社会への貢献度は連動しておらず、収入の多い人が道徳的に高い地位にあるわけではもちろんなく、尊敬される必要はないということです。

 

 しかし、能力主義とか自己責任とかが幅を利かせるようになり、たまたま裕福な人は貧しい人を見下すようになりました。また、貧しい人は、自分が貧しいのは自分の努力が足りなかったせいだとか、何かを怠ったせいだと思わされ、周囲から見下されていると感じるようになります。

 この問題は、「機会の平等」では解決できるはずがなく、「条件の平等」の社会の実現が必要だと著者は主張します。なかなか難しい考え方で、本書でも最後に少し言及されているだけで、具体的な説明はされていません。でも、誰もが、持って生まれた能力を精一杯使って働くことで、尊厳のある暮らしができる社会ということのようです。

 

 日本でも「自己責任」論が声高に叫ばれ、ネットの世界では学歴の低い人を蔑むような議論が臆面もなく展開されています。私もそんなことをしないよう自制しなければなりません。

 社会のあり方を考えるうえで、必読だと思います。

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 本書は、ハーバード大学で著者が行っている「Justice(正義)」という名の講義を書籍化したものです。学生に大変な人気だったため、大学が一般にも公開し、2010年には日本でも「ハーバード白熱教室」として放送されて話題になりました。

 アメリカの社会では、日本以上に、何が正義であるか、どうすることが公正であるかが問題になり、法廷に持ち込まれるようなこともあります。例えばアファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)です。黒人などマイノリティーの社会的地位を向上させるため、大学入試や採用試験などの際にマイノリティーを優遇する制度です。たしかに、同じ点数だったのに不合格とされた白人が、不公正だと憤る気持ちも理解できます。

また、有能な人とそうでない人の収入の格差は日本以上に大きく、格差是正をめぐる議論もあります。

本書は、それらの議論を紹介し、それを題材に、何が正義であるかについてのいくつかの考え方を解説しています。また、5人の作業員の命を助けるために路面電車のポイントを切り替え、1人の作業員の命を奪っていいかなどの、倫理に関する有名な思考実験もいくつか提示されています。

 

正義を判断する視点

「ある社会が公正かどうかを問うことは、我々が大切にするもの…収入や財産、義務や権利、権力や機会、職務や栄誉…がどう分配されているかを問うことである」と著者は述べます。それらが正しく分配されているか判断するのは、幸福、自由、美徳の三つの観点です。本書では「幸福の最大化」「自由の尊重」「美徳の涵養」の三つの見解に集約し、紹介しています。

 幸福の最大化は、最大多数の最大幸福を目指す功利主義の立場です。ある集団の幸福を最大化することが正義という考え方です。説得力はありますが、例えば、少数の人が信仰している宗教を多数の人が不快に思っているとき、その少数宗教を禁止してしまえば幸福は最大化するかもしれません。しかし、それが正義だと言われると、疑問を感じざるを得ません。

 自由の尊重を重視する立場の極端な支持者は、「リバタリアン」と呼ばれる人たちです。成人が自らの自由意思でする契約などは他者の権利を害しない限り尊重します。また、市場で決められた分配を尊重します。売春、麻薬売買などは自由意志による取引として容認し、自由な市場で配分された所得は、いかに格差があろうと容認し、再分配などは拒否します。

3つ目の「美徳の涵養」は、美徳や善良な生活を実現することが正義だと考えます。ただ、何を美徳と考えるかなどは難しい問題で、結局は宗教的な価値観に左右されてしまいそうです。宗教と切り離された、人類共通の普遍的な正義などは、見いだせないかもしれません。

 

欧米諸国とイスラム教国家、中国などとの応酬を見ていて、そもそも何を正義と考えるのかという考えが違っているような気もします。でも、西欧人でなく、キリスト教徒でもない私は、むしろ欧米諸国の言い分の方を理解できます。

新型コロナの騒ぎの中で、個人の行動を制限することがどういう場合に許されるのか、ワクチンをどんな順番で接種することが公正なのか、倫理的な判断を迫られる場面もあるでしょう。また、課税による所得の再配分をどこまで行うかも問題です。

日本人は、倫理とか正義とかの議論は、青臭い感じがして苦手かもしれませんが、避け続けてばかりもいられません。

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