本書は、未熟な若い落語家が、禅寺で座禅などの修行のまねごとをしながら、禅のことを学んでいくストーリーの漫画です。「悟りへの道」という副題が付いています。
釈迦が菩提樹の下で座禅をして悟りを開いたように、座禅は古代インドからの修行法ですが、それを「禅」として確立していくのが、後世のダルマなどです。本書には、ダルマが禅を始めた頃や、慧能禅師らが禅を確立していく頃のエピソードも紹介されています。
本書には、いわゆる仏様はほとんど登場しません。仏様に帰依して救ってもらうとかの話はなく、悟りを開いて心の平安を得ることが、禅の目的のようです。
私は、ここ最近、漫画などで簡単に読める仏教関係の解説書を何冊か読んでいるだけの素人です。素人なりの考えですが、釈迦が悟りを開いたときのその内容は、諸行無常、諸法無我など、この世が無常で絶対的なものなど存在しないことで、それを深く悟って物事へのこだわりを捨て、心の平安を得るというようなものだったろうと思います。如来だとか菩薩だとかの、いろいろな仏様の体系や概念などなかったでしょう。
各種の仏様は、悟りを得るために長年にわたって修行するようなゆとりのない一般民衆に心の平安を与えるため、便宜上考えだされたもののような気がします。
そうであれば、禅こそが仏教の当初の考え、釈迦の教えをストレートに引き継いでいるのかもしれません。また、一方、特定の神や仏に頼るわけでもないこのような形のものが、「宗教」と呼んでいいのかという疑問も湧きます。
仏教は、キリスト教やイスラム教と比べて非常に哲学的ですが、中でも禅はその性格が強いと思います。
そのような禅の性格が、禅がキリスト教徒などにも受け入れられている理由なのかもしれません。
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