ipt async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"> 原発事故 : 地方自治日記

地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしています。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

タグ:原発事故

 原発事故を巡り、東電の株主42人が旧経営陣に総額23兆円超を東電に賠償するよう求めた株主代表訴訟の控訴審判決で、東京高裁は6月6日、旧経営陣の法的責任を否定し、13兆円超の賠償を命じた1審判決を取り消しました。

 争点となったのは、巨大津波を予見できたか(予見可能性)、対策をしていれば事故を防げたのか(結果回避可能性)です。2002年に政府が公表した地震予測「長期評価」に基づき、東電の子会社は最大15・7メートルの津波が到達すると試算していました。また、東電の担当部署は長期評価を受け、「津波対策は不可避」とした上で、経営陣に対応を委ねていました。

 一審では専門家が議論を重ねて出した長期評価の科学的信頼性を肯定し、対策工事をすれば「重大事態を避けられた可能性が十分にあった」としました。ところが、高裁判決は、事故を防ぐには原発の運転を停止するしかなかったとし、「停止を指示するほどの信頼性のある根拠と言えない」と長期評価を位置づけ、「切迫感を抱かなかったのはやむを得なかった」としました。

 原発事故を巡っては、最高裁が2025年3月に、業務上過失致死傷罪で強制起訴された旧経営陣2人の全面無罪を確定させています。この決定でも巨大津波の予見可能性を否定しており、今回の控訴審判決はこの最高裁の決定に準じたものでしょう。

 すぐに原発の運転を止め、事故防止策を取らねばならないほど差し迫った事態でなければ、対策を先送りして事故が起きても法的責任は問われない・・・。国民感覚と懸け離れ、非常識な司法判断です。

 原発のようなものについては、少しでも安全性に懸念があれば対応しなければならないことは当然です。危機が切迫している状況であるか否かで判断するのではなく、絶対に安全といえる状況であるかどうかで判断しなければならないことは、当然です。
 今回の判決、判断基準を明らかに誤っています。こんな司法判断では、政治家や経営者は今後も甘すぎる判断を続け、日本が壊滅するような事態を引き起こしてしまうのではないか心配です。これは、もう人災です。
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 3月19日(土)、20日(日)、「NHKスペシャル」で福島原発の事故について2夜連続の特集がありました。「原発事故12年の新事実」「原発事故12年新たな謎」の前後編で、日本が壊滅の危機に瀕した88時間の再現ドラマ等で構成されていました。とても見応えのあるドキュメンタリーでした。

 私は、19日、20日は他の予定があって視聴できなかったので、録画して後日視聴しました。

 番組では、相次いでメルトダウンを起こした1号機、2号機、3号機のトラブルへの緊急対応の様子が再現され、息詰まる思いでした。死を覚悟して現場で対応に当たる吉田所長以下の義務感、放射線の高い場所でバルブを閉めに向かう決死隊を部下から募ることとなる管理職のつらさ、家族のことを思いながらも決死隊に名乗り出る多くの社員・・・。

 事故後の聴き取り調査で、吉田所長はその時の心境として「我々のイメージは、東日本壊滅」だったと語られたとのことでした。

 私は、幸いにも、そのような過酷な現場で、過酷な立場に立たされることなく人生を終えられるだろうと思います。

 この番組で再現された危機だけでなく、他にも4号機などで東日本を壊滅させかねない危機が発生していました。

 「福島原発事故の数々の奇跡」 参照願います。

 

 原発事故の記憶は、風化しつつあるのでしょう。番組内でも、「世界が原発への依存を再び強めようとしている」と指摘していました。

 従来から、原発には100%の安全などありませんでした。ロシアのウクライナ侵略などにより、原発に対する武力攻撃の危険も加わりました。番組では、そのことも指摘していました。「NHK、Good Job!」

 これほどの危険を冒して原発を推進しなければならない理由など、考えられません。誰からもそんな説明は聞いたことがありません。

 この状態で原発を推進するのは、売国的行為だと思うのですが・・・。

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 6月18日、東京電力福島原発の事故について、最高裁が国の責任を否定する判決を下しました。この判決には納得できませんが、原発事故が起こった場合、原発を強引に推進していた国が賠償責任を負わないということであれば、原発の早期廃止を求める声に拍車がかかるでしょう。
 あの事故による避難者は、生活を破壊され、元の生活に戻れないにもかかわらず、十分な補償を受けていません。結局、泣き寝入りしろということでしょうか?

想定外の災害も想定が当然
 今回の裁判で、原告側は、政府の地震調査研究推進本部がが2002年に公表した地震予測長期評価に基づけば巨大津波の襲来は予見できたと主張しました。それに対して最高裁は、「仮に国が規制権限を行使して東電に必要な措置を講じていても、津波による大量の浸水を防ぐことができなかった可能性が高い」予見可能性についての判断を避けました。

 国は、自治体や住民に対し、以前から原子力防災計画、避難計画の策定、訓練の実施を求めています。想定内の災害ならば住民が避難しなければならないような事故に至るはずがないので、想定外の災害発生を漠然と想定し、自治体や住民に準備と覚悟を求めているのでしょう。
 また、現在は、原発がミサイル攻撃を受けたり、テロ攻撃を受けたりすることも、少なくともマスコミや私は想定しています。もし政府が、「そんなことは想定していない」と主張するなら、そんなアホな政府は不要です。

このような判決は有害
 今のような「具体的予見可能性」を重視するような裁判の傾向に、危惧を感じています。国などが、危険予測の調査結果などを隠したり、調査の実施事態を躊躇するようになってしまったりするのではないかという心配です。
 国などに対しては、「予見しなかった責任」「予見を怠った責任」も追及すべきでしょう。

結局、原発の存続は許されない
 具体的に想定していなかったレベルの災害が発生したときに、許容できないほどの被害(日本、地域が壊滅するなど)が生じるような施設は存続させてはいけないでしょう。また、被害を防ぐための莫大な投資をすることは、危険の少ないエネルギー源と比較してペイするはずがありません。

 政治家の皆様には、理性的な判断を期待したいと思います。

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 副題: 役場職員が見た原発避難と震災復興

福島県内の市町村職員の自主的な交流・学習会が、福島大学大学院の自治体政策研究会と合流し、活動を続けてきました。本書は、そのグループが編集したものです。4人の市町村職員がそれぞれ原発事故の際の体験を綴り、福島大学の今井教授がそれを総括しています。

市町村の職員が、国や県、東京電力からほとんど情報が来ない中、住民を守るため死に物狂いで対応し、物事を決断していたか、生々しく綴られています。

 

自治体職員のテキストに

 災害が発生すれば、役場職員は住民を避難させ、避難生活を支援しなければなりません。あらかじめ想定していたように事態が進展すればいいですが、大抵は想定していなかった事態が発生します。限られた情報の中で、想定外の事態にどう対処するか、日ごろからイメージトレーニングをしておくべきだと思います。

 本書は、役場自体が域外への避難を余儀なくされた富岡町、市が避難指示区域と何も指示がない区域等に分断された南相馬市、楢葉町からの大量の避難者を受け入れた会津美里町、庁舎が全壊した国見町の職員が、それぞれ体験を綴っています。

 イメージトレーニングの格好の材料を提供してくれます。

 

 また、日ごろのどのような活動がいざというときに役立つか、参考になります。友好自治体として住民や職員を派遣しあい、さらに住民相互の親近感を醸成しておくことの大切さが分かります。

 災害時には、自治体職員の全員が災害対応を行うことになります。災害担当部局の方だけでなく、他の職員の方も読んで、模擬体験しておくべきかと思います。

 それにしても、原子力発電は、コリゴリですね。一日も早い全廃を夢見ています。


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 今朝(1227日)の朝刊で、
福島の原発事故時に炉心溶融(メルトダウン)の公表が遅れた問題で、新潟県と東電の合同検証委員会が、「炉心溶融という言葉の使用について官邸からの指示はなく、使わないよう社内に指示したのは当時の社長の判断だった。」とする調査結果を公表したという記事がありました。

 「やっぱりな」という気がする一方、では、東電が設置した第三者検証委員会が下した官邸の指示があったという「推認」は何だったのだろうと思います。東電トップが、責任逃れのために官邸に責任を擦り付けたのを、裏付けも取らずに「推認」しただけだったということです。

 これは、他の企業、行政にとって、大変迷惑な話です。

 

「第三者委員会」の信頼性が失墜

 何か不祥事、問題が発生したとき、その組織が外部の専門家を集めた「第三者委員会」で原因などを検証することは、今や常道になっています。しかし、今回のことで、問題を起こした企業や行政機関自身が設置した組織では、いくら外部の専門家を集めたとしても、信用できないことを白日の下にさらしてしまったのです。

 「外部」の専門家とはいえ、事件を起こした組織と良好な関係にある専門家を集めれば、その組織に都合の悪い検証結果になりにくいのは当然です。まさに「忖度」ということなのでしょうか?検証の信ぴょう性を確保するため、ある程度はその組織に都合が悪いことを指摘しても、その組織にとって致命的なところまでは踏み込まない、そんな予定調和的な結論を導くための「外部委員会」もあるのでしょう。

 これまで、真面目に、本当に第三者的に検証してきた「第三者委員会」もたくさんあったはずですが、今回のようなことがあると、検証結果の信ぴょう性が疑われてしまいます。

 

「第三者検証委員会」の検証が必要

 なぜ東電の第三者検証委員会が、妙な検証結果を出したのか、どんな検証作業の結果、そのような結果になったのか、検証が必要です。その検証を丁寧に行うことによって、今後「第三者委員会」を設置する際にはどのようにしなければ信頼性を確保できないか、方向が見えてくると思います。

 東電には、他の企業、行政機関への迷惑を最小限に抑えるため、是非、真摯な対応をお願いしたいところです。

 

 

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