NHKの朝ドラ「虎に翼」をきっかけに「総力戦研究所」のことに興味を持ち、そのことをテーマとする作品を読みましたが、その流れで、敗戦前後のことも知りたくなり、本書を読みました。
「日本人はなぜ戦争をしたか 昭和16年夏の敗戦』(猪瀬直樹)を読んで 参照願います。
本書は、日本がポツダム宣言受諾を決めた時期の前後から、東条英機らA級戦犯が絞首刑に処せられるころまでの米軍関係者や日本政府関係者の動きに沿ったルポルタージュです。一部は著者の創作部分もありますが、ほぼ史実に沿っているようです。
私は、この時期のことは、日本国憲法の制定過程については大学時代に憲法の講義で習ったので少しは知っていましたが、全体的にはは全く無知であったことに気づかされました。
昭和天皇の決断でポツダム宣言の受諾が決まり、玉音放送が録音された後、徹底抗戦を主張する一部の軍人らが録音盤を奪取して戦争終結を阻止しようとした事件については聞いたことがありました。しかし、東部方面軍司令官の命令書を偽造して、当時奥日光に避難していた皇太子を拉致して、彼を奉じて会津若松に立てこもって徹底抗戦を続ける計画があったことなど、全く知りませんでした。
さらに、当時は、天皇が拘束されて皇太子も米軍によって連れ去られるという危険すら想定されており、それらから皇太子を守ろうとする人たちの奮闘も描かれています。
東京裁判の判決は昭和23年11月12日ですが、東条ら7人の死刑が執行されたのは12月23日午前0時直後でした。死刑の準備はもちろん前日から行われ、日が替わるのを待っていたかのようなタイミングで、午前0時1分30秒から0時20分までに7人が次々に処刑されました。この日は、皇太子、次期天皇の誕生日でした。
また、東京裁判が開廷したのは昭和21年5月3日で、巣鴨プリズンにいた東条らA級戦犯に起訴状が伝達されたのが4月29日(昭和天皇誕生日)です。翌昭和22年5月3日に日本国憲法が施行され、後に「憲法記念日」になりました。
著者は「深読み」と言いながら、これは天皇、次期天皇に武装解除を「刻印」するためのマッカーサーのメッセージと捉えています。私はさらに、毎年これらの日を祝うことになる日本国民に向けた「忘れるな!」というメッセージかもしれないと思います。
残念ながら、このメッセージは今の日本人には伝わっておらず、私もこれらの祝日が東京裁判に関係の深い日でもあることなど知りませんでした。知ってしまった以上、これからこの祝日が来るたびに思い起こすことにします。
![]()
にほんブログ村 ご覧いただきありがとうございます。
サイト案内(目次)へ