ipt async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"> 白取春彦 : 地方自治日記

地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしていました。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

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 本書は、未熟な若い落語家が、禅寺で座禅などの修行のまねごとをしながら、禅のことを学んでいくストーリーの漫画です。「悟りへの道」という副題が付いています。

 釈迦が菩提樹の下で座禅をして悟りを開いたように、座禅は古代インドからの修行法ですが、それを「禅」として確立していくのが、後世のダルマなどです。本書には、ダルマが禅を始めた頃や、慧能禅師らが禅を確立していく頃のエピソードも紹介されています。

 

 本書には、いわゆる仏様はほとんど登場しません。仏様に帰依して救ってもらうとかの話はなく、悟りを開いて心の平安を得ることが、禅の目的のようです。

 私は、ここ最近、漫画などで簡単に読める仏教関係の解説書を何冊か読んでいるだけの素人です。素人なりの考えですが、釈迦が悟りを開いたときのその内容は、諸行無常、諸法無我など、この世が無常で絶対的なものなど存在しないことで、それを深く悟って物事へのこだわりを捨て、心の平安を得るというようなものだったろうと思います。如来だとか菩薩だとかの、いろいろな仏様の体系や概念などなかったでしょう。

 各種の仏様は、悟りを得るために長年にわたって修行するようなゆとりのない一般民衆に心の平安を与えるため、便宜上考えだされたもののような気がします。

 そうであれば、禅こそが仏教の当初の考え、釈迦の教えをストレートに引き継いでいるのかもしれません。また、一方、特定の神や仏に頼るわけでもないこのような形のものが、「宗教」と呼んでいいのかという疑問も湧きます。

 仏教は、キリスト教やイスラム教と比べて非常に哲学的ですが、中でも禅はその性格が強いと思います。

 そのような禅の性格が、禅がキリスト教徒などにも受け入れられている理由なのかもしれません。

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 これまで、哲学についてはほとんど勉強したことがありません。

 高校の倫理社会では、ソクラテス、プラトン、カント、ヘーゲルなどは習いましたが、ほとんど忘れてしまいました。ニーチェなどは、習った覚えもありません。

 「神は死んだ。」という言葉とかニヒリズム(虚無主義)は聞いたことがありましたが、ニーチェの思想についてまとまった知識は皆無でした。そこで、ニーチェの思想について、漫画で概略を理解できれば儲けものだと思い、図書館で借りて読んでみました。

 読みやすく、楽しめ、分かりやすい本で、お勧めです。

 

アドラー心理学に似ている?

 読み始めてすぐ、以前に読んだ「嫌われる勇気」「幸せになる勇気」(岸見一郎ほか、アドラーの心理学を解説した本)で説かれていたことと似ているという印象を持ちました。

 一般に、他人に同情することは良いことだとみなされていますが、ニーチェは、「他人に同情する人は、実はそのとき自分のうちに力を感じる快感を得ている。」、つまり、同情とは相手に対する優越感とセットのものと捉えました。意地の悪い考え方のようですが、私には否定することはできません。

 このように、ニーチェの思想は、人間の心理を深くえぐるような面があり、後の心理学(フロイトなど)の先駆けとなったようです。アドラーの考えと類似点があるのも当然です。

 

日本人にはなじみやすい

 キリスト教のような一神教に浸されていない一般的な日本人は、絶対的な価値など存在しないことを抵抗なく理解できます。私たちの善悪の基準と、別の文明で育った人の善悪の基準とは異なっていることを、自然に理解しています。絶対的な価値観などないことを説くニーチェの考えは、無神論者の多い日本人にはなじみやすいでしょう。

 ただ、「善」とは弱いものが自分を守る口実に過ぎないと言われると、観念的には理解できるのですが、同意しきれない部分はあります。

 

本書のあらまし

 レストランでアルバイトをしている主人公は、他人に気を使いすぎる面もある優しい20歳くらいの女性です。それが、近所に住む客の爺さん(猫じい。ニーチェを理解している。)、同僚の女性たち、先輩などとの関わり合いの中で、同情とはどういうことか、絶対的な価値などないこと、自分の価値観を持ち、それに従って生きていくべきことなどを学んでいくストーリーです。

 

 私は、絶対的な価値などないことは理解していましたが、与えられた価値観を自分の価値観としてそれに従って生きていたのではないかと言われると、否定などできません。せめて、自分が今持っている価値観は社会から与えられたものであることを自覚していようと思います。そうすれば、いつか自分の価値観を持てるようになるかもしれません。

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