ipt async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"> 私が原発を止めた理由 : 地方自治日記

地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしています。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

タグ:私が原発を止めた理由

 福島原発の事故の際、数々の偶然によって、東日本壊滅という事態を免れました。そのことは、私もこのブログで何度か紹介していますが、具体的にどんな「奇跡」だったのか、ここにまとめてみます。神を信じない私ですら、「日本は神に守られているんじゃないか」と思いたくなるほどの奇跡です。

 最近、この奇跡を知らないのか、忘れてしまったのか、原発推進などという政治家が増えています。もし神が存在したら、「あれだけの奇跡で助けてやったのに、また同じことをやろうとするのか?」と呆れ果て、この次は日本を助けてくれないでしょう。

 本稿は、「私が原発を止めた理由」(樋口英明)の関係個所を要約したものです。原発に賛成する人も反対する人も、この本をぜひ読んでいただきたいと思います。

 「私が原発を止めた理由」(樋口英明)を読んで 参照願います。

 

2号機の奇跡

 2号機でもメルトダウンが起こり、大量の水蒸気と水素ガスが発生して格納容器内の圧力が設計基準をはるかに超えて高まった。爆発を避けるため本来はベントという圧力を抜く作業を要するが電源喪失で自動ではできず、作業員がそこに行きつくまでに死んでしまうほど周囲の放射線が高かったため手動でバルブを開くこともできなかった。格納容器は放射能を外部に出さないため頑丈に密封されているはずであるが、どこかに脆弱なところがあったらしく圧力が抜けたため、爆発を免れた。爆発していれば東日本が壊滅していたはずで、本来は絶対にあってはならないことだがこの格納容器が欠陥品であったために東日本壊滅を免れた

 

4号機の奇跡

 4号機は定期点検中だったが、隣接の使用済み核燃料貯蔵プールに核燃料が保管されていた。ここも電源喪失で循環水の供給ができなくなり、3月15日ころには干上って大量の放射性物質が放出される恐れが高まった。しかし、たまたま隣接する原子炉ウエルにシュラウド取り換え作業のために普段は張られてない水が張られていた。そして、使用済み核燃料貯蔵プールと原子炉ウエルを隔てている仕切りがずれるという本来あってはならないことが起き、大量の水がプールに流れ込んだ原子炉ウエルの水は、工事が遅れたために残っていたもので、本来は3月7日には抜かれていたはずのものだった。仕切りがずれた理由は、不明。

 また、4号機の建屋内で原因不明の水素爆破が起こり、使用済み核燃料プールの天井が吹き飛んだ。そのおかげで、東京消防庁の背の高い放水車(「キリン」という愛称)で水を入れることができ、250キロ圏内(東京が入る)の避難という事態を免れた

 

免震重要棟の存在

 2007年7月に新潟県中越沖地震が起こり、その際の経験と新潟県知事の強い要請により柏崎刈羽原発に免震重要棟が作られ、その後福島原発にも設置された。福島原発にこれが設置された数か月後にこの事故が起き、これがなかったらやはり東日本壊滅に至っていた。

 

その他の奇跡

 福島原発の事故で外部に放出された放射性物質の量は、広島原爆の100倍を超える。3月15日には放射線量が高く、屋外での作業ができない状態になったが、その日の昼頃、突然放射線量が下がり、屋外作業が可能になった。たまたま偏西風によって、放射性物質が太平洋に流れたもの。
 もし北風が吹いていたら、放射性物質が東京に達し、黒い雨が降っていたかもしれない。そうなれば、東京は悲惨な状態になった。現実には太平洋に流れた放射性物質は、空母上でトモダチ作戦に従事していた米軍兵士を被ばくさせた。


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 20145月に福井地方裁判所で、関西電力大飯原発運転差止めの判決が言い渡されました。著者は、その裁判長で、その後定年退官された元裁判官です。

 

本書の主張の概要

 日本の原発の危険性に警鐘を鳴らし、運転中止を主張する内容です。

 著者自身の要約によれば、

①原発は事故を起こすと日本の存続を危うくするほど甚大な被害を発生させる。

⓶それ故に原発には極めて高度の安全性が求められる

⓷地震大国の日本では、原発には極めて高度の耐震性が求められる

日本の原発の耐震性は極めて低く、平凡な地震によっても危険が生ずる

⑤よって、原発の運転は許されない。耐震性の低さを正当化する学問的根拠はなく、原発の運転を続ける社会的正当性もない。

ということです。特に、①⓸⑤について、根拠を示しつつ、詳細に説明されています。

 私自身の立場は、「原発は万一の事故の場合に日本の存続を危うくするほどの被害を生じさせる可能性があるから、そんな危険なものは即時廃炉」です。著者は、そのような立場にも理解を示しつつ、それではそこで議論が終わってしまうので、高度な安全性が確保されることを条件に運転を認めるという立場にたって、議論を進めておられます。

 その上で、日本の原発は運転を認められないという結論を導いておられます。

 

甘すぎる審査基準

 原発には極めて高度の安全性が求められることは、原発に賛成の人でも認めることでしょう。理性的な人ほど、「だから大地震にも耐えられるように作られているはずだ。」と思い込んでしまうと著者は指摘します。私も、各原発は過去に起こった最大の地震よりもかなり強い地震が来ても大丈夫なように設計されているはずだと思っていました。しかし、それは誤りだったようです。

実際は、原発はかなり脆弱で、その証拠にはこれまでも設計上の耐震強度を超える地震が何度か発生しています。大きな事故がなかったのは、運が良かったのでしょう。地震が発生して、住宅などの建物は倒壊しなくても、原発の配管などが毀損することも大いにあり得ます。

福島の事故の際、東日本が壊滅せずに済んだのは、奇跡というべきいくつもの偶然が重なったおかげであることは聞き知っていましたが、その具体的な詳細も本書で初めて知り、あらためて背筋が寒くなりました。
 著者は、3.11で原発はそれほど安全ではないこと、事故の際には回復不能な被害を生じさせることを知った我々の世代には大きな責任があると指摘しています。これほどの危険を知らないふりをして、将来世代を危険にさらすような無責任なことは許されません。

 

 本書に対する反論は、まだ政府、推進派の専門家から聞こえてきません。反論があるのなら緻密に反論していただきたいと思います。

 原発を容認する人にとっても、即時廃止を主張する人にとっても、本書は必読書だと思います。本書を読んでいない人は、原発容認の主張をする資格はないと思います。

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