ipt async src="//pagead2.googlesyndication.com/pagead/js/adsbygoogle.js"> 薩長土肥 : 地方自治日記

地方自治日記

地方自治に誠実に取り組んできた県職員OBです。県の市町村課に長く在職したほか、出納局、人事委員会などのいわゆる総務畑が長く、自治制度等を専門分野としてきました。県を退職後も、時々、市町村職員などの研修で、自治制度、公務員制度、文書事務などの講義もしていました。 単に前年どおりに仕事をすることが嫌いで、様々な改革・改善に取り組んできました。各自治体の公務員の皆様には、ぜひ法令を正しく合理的に解釈し、可能な限り効率的、効果的な行政運営をしていただきたいと願っています。

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 826日、安倍首相は、訪問先の鹿児島県垂水市で来月の自民党総裁選への出馬を正式に表明しました。記者団に対し、桜島をバックにビジュアルな効果も狙った演出でした。

同じ日、安倍首相は、鹿児島県鹿屋市で開かれた森山国会対策委員長の講演会合に出席し、「ちょうど今晩のNHK大河ドラマ『西郷どん』は『薩長同盟』だ。しっかり薩長で力を合わせ、新たな時代を切り開いていきたい。」とスピーチして、薩長の絆を強調してみせたとのことです。

鹿児島でのリップサービスに過ぎないことは承知しています。しかし、そういう言動がこの国の多くの人々に恨みを思い出させ、国を分断するものであることに思いが至らない鈍感さにあきれます。

薩長だけで勝手にやってくれと言いたくなる人たちもいるでしょう。

 

150年後も残る複雑な感情

 私は、賊軍とされて特別にひどい目にあわされた地域の出身ではありません。しかし、いろいろな歴史を読み、いわれもなく賊軍、朝敵とされた人たちに同情し、今も恨みを忘れていない地域の気持ちがよく分かります。

 安倍首相に限らず、勝った側の地域の人たちにとっては、薩長連合とか薩長土肥とかは、輝かしい歴史を感じる言葉なのかもしれません。しかし、それ以外の地域の人たちにとっては、いいイメージの言葉ではないことを理解しなければなりません。

 「平成の「薩長土肥」連合?」

 「「明治維新という過ち」(改訂増補版、原田伊織)を読んで」

 

 

歴史の検証を

 この発言で、福島県を中心とした東日本の地方票が多少は逃げるでしょうが、今回の自民党総裁選はすでに結果が見えていると言われています。

 安倍首相は、先祖が150年前に申し訳ないことをしたという忸怩たる気持ちはないようです。2007年には、参院福島補選で応援に入った安倍首相が「(戊辰戦争で)先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない。」と謝罪しましたが、自民党候補は落選しました。あの謝罪は、選挙目当ての口先だけのものであったことが、ここで露呈してしまいました。

 30年前、戊辰戦争後120年の時に、山口県萩市から会津若松市に友好都市締結の話があり、会津若松市民が猛反発しました。締結に前向きだった市長は翌年落選したそうです。その後も和解の機運は高まりません。

戊辰戦争が必要だったのか、恭順を示していた会津、桑名、庄内藩などをあれほど酷い目にあわせたことが正しかったのか、検証すべきだと思います。

 それがなければ、いつまでも恨みは続きます。


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 本書は、賛否が激しく対立する本です。特に、薩長土肥と水戸の出身者には、受け入れがたく感じる人が多いだろうと思います。私は、大河ドラマの幕末、維新ものを見たり、その時代をテーマにした小説などを読んだりした際に漠然と疑問に感じていたことが、やはりそうだったのかと、かなり納得する部分がありました。

 

日本の近代化に明治維新は必須だったか?

 私たちが受けた歴史教育は勝利者側が作り上げた「官軍教育」ですが、それによると、日本の近代化は明治維新のおかげということになっています。しかし、少し考えれば分かるとおり、既に幕府が開国していたのです。各国と和親条約を結ぶ以前にも、1842年には薪水給与令を発して異国船に対する飲料水の補給を認め、交易船の来航も複数回ありました。

 開国していた以上、戊辰戦争などしなくても、近代化は進んでいたはずです。現に、幕府は、天文方、蕃書調所、講武所、種痘館、海軍伝習所などで西洋技術の研究や習得に努め、ここで育成された元幕僚が、無能な藩閥官僚を陰で支えて明治政府でも大きな役割を果たします。

 

尊王攘夷とは何だったのか?

 攘夷などできるはずがないことは、状況を理解している人には分かっていたはずです。したがって、尊王攘夷を叫んだ志士のほとんどは、状況を理解していないか、ナショナリズムに浮かされた考えの浅い人たちです。一部、承知のうえで、倒幕のためにそのスローガンを利用した勢力がいたのでしょう。政権を奪ったとたんに、卑屈なほど西洋化に走っています。

 尊王という点で見ても、例えば、会津藩には天皇に背いたりした事実はありません。孝明天皇が最も信頼していたのが会津藩であったことは、よく知られています。むしろ、長州藩は、蛤御門の変で御所に向かって発砲するなど、天皇を軽視していました。

 その後も、薩長側が、偽勅を出したり錦旗を偽造したり、不敬な行動が目立ちます。

 やはり、天皇の権威や人々のナショナリズムを利用するための単なるスローガンだったのでしょう。

 

 明治維新150として全国各地で様々な催しが行われていますが、これを機に、本当にあれが偉業だったのか、検証すべきだと思います。会津、二本松、庄内、長岡藩などには、朝敵、賊軍の汚名を着せられるいわれはないようで、義憤を感じます。


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