「表現の不自由展」に出品されていると言われている慰安婦像など、あんな剝き出しの憎悪、あるいは韓国人の反日感情に迎合してウケようとしただけの「作品」を、私は芸術などと決して思いません。あんなものは、制作した人間の性根の卑しさを表現しているだけのゴミだと思います。
また、あんなものの展示に公費で補助するなど、あってはならないことです。
しかし、私的団体による展示を暴力的に妨害しようとすることには反対です。あんなものでも、表現の自由は尊重されるべきだと思います。「卑しい奴らだ」と嘲笑していればいいのです。
表現の自由の境界線
表現の自由を突き詰めると、いわゆるヘイトスピーチを容認できるかという問題になります。
例えば、韓国・朝鮮系の学校の近くで、韓国人、朝鮮人を侮辱するスピーチを大音量でやる、これはアウトでしょう。韓国・朝鮮系の何の罪もない子供の気持ちを傷つけるからです。
しかし、同じ場所で、韓国政府、北朝鮮政府の行った政策などを批判するスピーチをするなどは、表現の自由として尊重されるべきだと思います。「韓国人はみんな嘘つきだ」などと言わずに、韓国政府が過去に重ねてきた嘘を指摘することは認められるべきでしょう。日本政府を批判することが認められるのと同じことです。
また、どんなヘイトスピーチでも、身内だけの閉鎖された場所で行われるなら、認められるべきでしょう。
ヘイトスピーチは、わざわざ聞きに行くような場所ではなく、それによって傷つく人がいるかもしれない場所で行われれば、アウトだと思います。
今回の不自由展は、展示内容の見当がついているわけで、わざわざ見に行った人の目にしか触れません。
慰安婦の強制連行がなかったという証明は、いわゆる悪魔の証明で、困難でしょう。しかし、強制連行などはなかったという状況証拠は山ほどあり、本人や家族などによる応募であった事例も山ほど立証されています。くだらない不自由展には構わず、強制連行などは虚偽であることを事実を指摘しながら言い続けるのが大人の対応でしょう。
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